『MINAMATAーミナマター』
『魂を撮ろう ユージン・スミスとアイリーンの水俣』を読んだ勢いに乗って、映画『MINAMATAーミナマター』も鑑賞。
映画のことは、『魂を撮ろう』のなかでも少し触れられていた。ユージンが撮影した水俣病患者の有名な写真が、ご遺族の希望で90年代後半から露出されなくなったのだけど、この映画では使われていると。
それが読者に影を落とすというか、心にもやっとしたものを残す書き方だった。
まぁ、それだけが気にかかって映画をみたわけではないんだけど、映画は映画で良い作品に仕上がっていました。
『魂を撮ろう』を読んでしまうと物足りなさも感じるかもしれないけど、水俣湾の美しさを映像で出すからその対比で公害の凄惨さや被害者の抗議が胸に迫ってきました。
「写真を撮るということは、対象の魂も撮影者の魂も削るものなんだ」という意味合いのことをユージンが言っていて、それはユージンが写真撮影に真剣に向き合い、報道写真が芸術に昇華するような削り方を意味しているのかなって思っていたけれど、あのお風呂の写真の経緯を知ってしまうと、違う意味に取れなくもないなと考えてしまう。
水俣病以後も繰り返してきた環境汚染問題を見せつけられるエンディング。
「こんなことは私達で最後にしてほしい」と裁判で勝利した被害者が訴えているのにも関わらず、その希望は叶わなかった。
人間の愚かさを印象付けて映画は締めくくられる。