母(80)と僕の読書の記録とその周辺

母は小説が好き、僕はノンフィクションが好き

母は『舞姫』を読んだ

母は西條奈加の『善人長屋』を読み終えると、森鴎外の『舞姫』が読みたいとリクエストしてきた。

 

以前も、泉鏡花の『高野聖』や志賀直哉の『城の崎にて』をリクエストされたのだが、図書館から借りられる本は、文庫本や全集が多くて母が読むには字が小さくて読みづらいのだ。しかも30〜40年前に出版された本が多く、現在の文庫本よりも字が小さい。

青空文庫を読みやすいフォントサイズにしてプリントアウトしようかと思ったが、短編といえど意外と枚数を必要とするのであきらめた。

 

さらに、森鴎外泉鏡花は擬古文なので、現代文に訳した文章も掲載されていたほうが親切だろうな、などとぼくは考えた。

 

そこで図書館から借りたのは2冊。

二葉亭四迷森鴎外の代表作を読み直す』

そして『近代名作館3』(桑名 靖治∥編)。

『近代名作館3』は、近現代の短編が20篇収録されており、高校生向けなので舞姫の現代語訳も脇に載っている(ただし、現代語訳はおまけ程度に字が小さい)。

 

二葉亭四迷森鴎外の代表作を読み直す』は、舞姫の背景(当時の情勢や登場人物の心情など)を解説文と本文が交互に出てきて、教科書の実況中継のような感じ。

 

これで母の理解も進むであろう、と思っていると『読み直す』の解説が分かりやすくて気に入ったらしい。

 

母「『舞姫』って教科書に載ってたの?」

ぼく「そうだよ。高校で習ったよ」

母「私のときは無かったとおもう」

 

調べると『舞姫』は母が高校生のころの教科書に掲載されていたらしいので、おそらく母の記憶から忘れられただけだと思うが、まあそんなことはどうでもいい。

 

今の母は『近代名作館3』に収録されている他の短編を読んでいる最中だ。

 

そして、母が突然気づいたことがある。

 

母「俳優が小説を朗読したCDの新聞広告がときどき載っているけれど、長い小説の朗読なんか、集中して聞けないだろうし、小説の途中だけ抜粋してても意味分かんないだろうし、と思っていたけど、読んでる小説って全部短編なのね!?」

ぼく「そうだよ」

母「今日突然気づいた!」

 

どうです、ぼくの母は可愛らしいと思いませんか。

 

母は『てのひらの闇』を読んだ

母は『てのひらの闇』も面白かったそうで、あっという間に読み終わった。

ぼくの好きな作家を、母も好きになってくれて嬉しい。

 

深夜に目が覚めてしまったことがあったそうで、読書していればまた眠たくなるだろうと『てのひらの闇』を手に取ったものの、面白いので目が冴えてしまい結局早朝まで読んでしまったそうだ。

「物語も面白いが引き込まれる文章だ」

というのが母の藤原伊織評だ。

 

返す返すも早世したのが残念だ。

母は藤原氏が物故されたことを知らなかったので、やはり新作が出ないことを残念だと言っていた。

 

彼ががんに罹ったことを発表した当時、週刊誌(週刊朝日だったような気がする)で、社会保険事務所(当時)との攻防をしたためたエッセイが忘れられない。

国民年金保険料を滞納していた藤原氏に、社会保険事務所から督促の電話がかかってきた話だ。「がんに罹って余命も少ないのに老後のための年金保険料を納めろというのか!」と怒りが伝わってくる文面だった。

 

ぼくは藤原氏の気持ちはごもっともだと思いつつも、督促の電話をかける社会保険事務所の人も大変だなぁと同情してしまい、なんとも複雑な気持ちになった。

だからきっと印象に深く残ったのだろうけれど。

 

ぼくはどちらかと言えば年金保険料はきっちり納めたいタイプの人間だ。学生時代に滞納してしまった分は時効でもう納められないので、満額(40年分)納めたいから60歳を過ぎたら任意加入という制度を利用したいと思っている。

あの世の藤原氏から見たら、鼻で笑われそうだけどね。

 

 

母は『テロリストのパラソル』を読んだ

図書館から借りてきた大活字本シリーズ『テロリストのパラソル』は1週間ほどで読み終えた母。

なんと読んだ記憶があったというが、ストーリーは覚えてなかったという。

たぶん、ぼくが買った文庫本を読んだのだろうが、大昔に読んだのでおぼえていないのだと思う。

ぼくも、読んだのは20年くらい前だから詳細には覚えていないんだけどね。

 

感想を聞いたら面白かったそうなので、著者の藤原伊織の作品がもう一つ大活字本になっているのを借りてきた。

『てのひらの闇』で、3分冊になっている。

「これも面白そうだ」と、母はウキウキした顔して読むのを楽しみにしていた。

 

母は角田光代が好き

母は『八日目の蟬』をたいそう気に入ったらしく、ぼくにも勧めてきた。

どれほど気に入ったかというと、図書館で借りた『八日目の蟬』の栞紐が擦り切れて短くなっていたものだから、自分で紐を縫い足したほどである。

本人は「これからこの本を借りるひとも便利になるに違いない」と確信しての行動だったが、返却するときに図書館員の方に確認すると、「修繕は図書館で行っていますが、栞紐の付け替えはたぶんしない(できない)と思います。ですが付け足しはしないでください」という予想通りの返答だった。

仕方がないのでぼくはその場で付け足した栞紐を抜いた。

『八日目の蟬』の栞紐は本の高さよりも短く、栞紐の役割をなさないだろうが、多くの人がこの本を読んだという名誉の証に見えなくもない。

母にはぼくから修繕禁止を伝えたが、まるでいたずらがバレた子どものように明るく笑っていた。

 

その後も『私のなかの彼女』などを読んだ母である。もっと角田光代の本を図書館で借りようと思うのだが、フォントサイズの小さい本ばかりなので母が読みづらいだろうと想像すると躊躇してしまう。

 

ところで今日、目立つところに掛けているカレンダーを眺めていると、明日の日付に『1.20八日目のセミ』と母の字で書いてある。

近くに母がいなかったのであたりをつけて調べてみると、明日の13:20からテレビ東京で映画『八日目の蟬』が放映されるので、見逃さないようにメモしたらしかった。

母のそういうところ、可愛らしいなあと思っている。

映画も楽しんでほしいものだ。

 

 

 

みなとみらいスマートフェスティバル2022へ行ってきました(2022.08.02)

招待券を頂いたので、母と妹とぼくの3人で行ってきました。

ぼくたちは横浜から少し離れた場所に住んでいるという事情もあり、横浜の花火大会には初めて行ったのです。

とても楽しく思い出に残るイベントでした。

 

夕方17時半開場、ということで17時ごろに到着すると、すでに数百人が行列でした。

当日は、各地で猛暑になるという予報が出ており、海に面した会場も例外なく暑いものでした。暑さ対策グッズなど用意していったのですが、保冷剤は溶けてしまいあまり意味がなかったです。

もっと万全を期すべきでした。

 

頂いた入場チケットは、臨港パークの芝生広場が観覧指定されていました。

見やすいエリアから先に開放、ということで適当に場所をとりました。

感染症予防を意識して、前後左右のグループとはある程度距離を置いたのですが、その空間をあとから来たグループに席を作られてしまい、結局はぎゅうぎゅうに混み合ってしまいました。

広場にシートを広げるだけの自由席ですから仕方ないのですが、ある程度区切ることはできなかったのだろうかと思います。

 

混雑しすぎて、スマホからネットに繋がらなくて困ったくらいです。

 

コロワイドグループが出資しているイベントなので、大戸屋ステーキ宮などの看板を掲げた夜店が立ち並んでいましたが、ぼくたちはあらかじめ買ってきたお弁当でお夕飯にしました。

 

19時から海上で和太鼓の演奏が始まりました。

席の関係で演奏しているところは見られませんでしたが、スピーカーから勇壮な演奏が流れ、心が踊りました。

19時半からはいよいよ花火の打ち上げです。

25分間に2万発も打ち上げるというから大変期待していましたが、夢のように素晴らしかったです。

 


普通のデジカメで撮影したけど、難しくて泣いちゃった。
妹がiPhoneで撮影したほうがよっぽど上手でした。

 

退場時、横浜駅方面に歩いて行こうとしたら、歩道に人がいっぱいでなかなか前に進みませんでした。

普段、こんなに大きなイベントに行くことがないもので、驚きの一日でした。

 

 

母は『星落ちて、なお』を読んだ

三浦綾子の『海嶺』上下を図書館で借りて読んでいた母でしたが、貸出期限の2週間が過ぎても上巻が読み終えず、さらに2週間延長して上巻を読み終えたので下巻を読むのは諦めたらしい。

 

ちょうどその頃、澤田瞳子の『星落ちて、なお』を図書館から借りられた。

直木賞受賞後しばらくしてから予約したので、1年近く順番を待っていた。

ちなみに母は予約している人数が多くて、順番が回ってくるのが1年以上先になることが予想されても平気で予約を入れられるタイプ。

それだけ本を持ちたくないらしい。本はかさばるからねぇ。

 

星落ちて、なお』は10日くらいで読み終えていた。

おもしろかったそうです。にこにこしていた。

 

さて、問題となるのが母が次に読む本である。

「なんでもいい。面白そうなやつ」と、ざっくりすぎる要望だ。

ぼくを悩ませる要望だ。

 

返却のため図書館に訪れたついでに、本棚をみてみた。

高齢の母であるから文字は大きい方がいいだろうと、以前、埼玉福祉会から出ている「大活字本シリーズ」のなかからセレクトしたが、これが良かったらしい。他社からも大活字本はでているので試しにそちらも借りたが、埼玉福祉会のフォントサイズや行間などが読みやすい、とのこと。

 

ただ、出版している作品は時代小説が多い。これは読者層を考えると致し方ないのかもしれないが、『星落ちて、なお』が時代小説だったので連続はできれば避けたい。

 

そこで藤原伊織の『テロリストのパラソル』が目に飛び込んできたので、これを借りることにした。この小説は20代の頃のぼくが読んだことがあるので、面白さは確認済みだ。また、主人公が母の少し年下ぐらいだったはずなので、母も読みやすいかもしれない、というのがセレクトの理由。

 

80歳の母親におすすめの本があれば、ぜひ教えてほしいです。

 

 

『ヒルは木から落ちてこない。』

近年、住宅地に近い低山でヤマビルが大量に発生することが問題になっています。

登山客やハイキング客の皮膚に音もなく吸い付き、満腹になるまで吸血すると落ちていくんだけど、吸われた箇所からは大出血するというおまけ付き。

人間からは嫌われ、たびたび新聞記事になる話題です。

このヤマビルの研究者というのは存在しなかったようで、その生態を研究するために小中学生たちが夢中になって取り組んだ経過が綴られているのがこの本。

率直に言って、その道筋はスリリングでミステリー小説のようでもあり、とても面白かったです。

著者は「こどもヤマビル研究会」を設立した、元小学校の先生。文章は子どもたちのイキイキとした会話が中心になっているので、読みやすいし読者も研究会員になった気持ちになる。

研究は子どもたちの疑問を始点に、フィールドワークや実験によってヤマビルの生態を明らかにしていく。学校の授業とはまるで違うんですよね。ここがもうスゴいなあ、と理科が得意でなかった中年として思うんです。

大人は子どもたちの手伝い、サポーターっていう程度。

 

従来信じられていたヤマビルに関する生態『ヒルは木から落ちてくる』というのは間違いだと、登山のイベントで研究発表してもなかなか容易には信じられない年配者たち。

こういうのもグッとくる。

子どもたちは自分たちで実験を数々行い、確信があるからそんなに滅気てないのもよかった。

がんばれ、がんばれって読みながら応援していたよ。

 

まだまだ、ヤマビルの生態がすべて明らかになったというわけでもなく、研究会の活動は続く。

この本が、登山関係の出版社「山と渓谷社」から出版されたのも、彼らの研究が世に広まる一助となることは間違いない。